「考える」ことができない理由

個別指導塾の学習空間、彦根・八日市教室の成田です!

 
私が担当している彦根教室では、先日全中学校の中間テストが終わりました。
テスト前はほとんどの生徒が毎日のようにテスト対策指導に来塾してくれて、
目標点を目指して頑張ってくれました。
その結果、見事に大幅点数UPを成し遂げてくれた子もたくさんいました。
徐々に内容が難しくなるこの時期に、よく頑張ってくれたと感じます。

一方で、思ったよりも点数が伸ばせなかった生徒も一定数いました。
他の生徒と同様に来塾して、同じくらい勉強に時間をかけていたにも関わらず、です。

そういった子たちのテスト前の学習の違いを見ていくと、
やはり勉強には「考える」というプロセスが不可欠だという思いに至ります。

「考える」とは何でしょうか。
非常に漠然とした動作を指しており、極めて抽象的です。
しかし勉強する上では、
  『ちゃんと考えて解いたの?』
  『もっとよく考えて解いてみよう』
  『もう少し考えればきっと解けるよ』
などと言われたりします。
これはいったい何をしろと言われているのか…
その何をすべきかを「考える」ことがまたよくわからないわけで…笑。

結局こういった言葉を子どもに投げかけたところで、
「何をすべきかよくわからない指示」になるわけです。
やがてそれが、子どもが考えることをしなくなる傾向に繋がったりもします。
しかし、「考える」ことはとても大切です。

「考える」の定義は実に様々です。
一つの捉え方として、「それは何か?」「それは何故か?」「それをどうするか?」
の検証作業であると言われます。
目の前の問題に対して、
 『これはどういう問題だろう?』
 『なぜこの答えになるんだろう?』
 『どうすれば解けるようになるだろう?』
と思いを巡らせることが、問題解決の筋道になることは間違いありません。

しかしそれは大人の視点からするとあまりに当然のことで、
だからこそ「もっと考えろ!」という指示をしてしまいがちになります。
しかし問題の本質は、「考えない」ことではなく「考えられない」ことなのです。
なぜなら、興味を持てていないからです。

大人でも興味のないことについて「考える」ことは苦痛です。
大人になると、自分には関係ないことと感じられれば感じられるほどに考えなくなります。
何が必要で、何が不必要かがわかるようになるからです。
この不必要と感じる事柄について「考えろ」と言われているのが、子どもたちですね。
将来どう役立つかわからない知識を叩きこまれているのですから、
「考える」気にならないのも仕方がないことなのかもしれません。
いかに興味を持たせて、考える習慣をつけさせるかが肝要になってくるのでしょう。

考えながら学習できる子は、上達も早いものです。
しかし、「考えろ」と指示したところで、考えられるようにはなりません。
ただ勉強を教えるだけではない、教育の本質がそこにあるように思います。

 
今回のテストで悔しい思いをした生徒を次回は必ずや笑顔にすべく、
もっと精進していかねばと思う今日この頃です。

 

滋賀の塾なら個別指導の学習空間

SNSでもご購読できます。

まずは1週間の無料体験学習をお試しください

コメントを残す

*

CAPTCHA